About Jhokoji

 浄光寺が今の地(金沢市森山)に移転してきましたのは、延享3年(1746)当寺第11世受雲(宝暦4没)の時代と聞いいております。浄教房圓成を開祖として親鸞聖人の開顕された教えをいただき、ことに蓮如上人の直釋を仰ぎ、浄土の真宗の道を展じてきたところであります。現時点で出処出自は文献資料上で確認することはできないものの、もとは福原(平家が遷都したところ=現在の地名神戸市三宮)の武士の一軍であり、仲間の菩提を葬う必要性から出離の縁をいただいたものとおさえられております。現住職受宣は第22世になります。前の本堂修復の折り日の目を観ることになった、若き蓮如上人両軸の名号(吉崎にはいられる前に書かれた)はその間の流れを語ってあまりあるものといえましょう。
 周知のように石山本願寺が信長により壊滅的打撃を受けた後、秀吉が准如(天正5年1577〜寛永71630)をたて本派本願寺を再興したのに対し、本願寺顕如の長子教如(永禄元年1558〜慶長19年1614)は、家康の後押しで大谷派を興しその教線を拡張していったことであります。まさにその時当寺第6世呑悦房授英が慶長18年(1613)浄光寺の基を確立していったところであります。 慶長18年(1618)(6世〕〜享保17年(1732)〔10世)の間、加賀金澤河北郡茶屋町(東山1丁目13—15付近)に在り、今でも浄光寺跡の松は大切に保存され、散策途中屋根越しに覧ることができます。
 以後、度重なる火災と都市整備計画などにより現在地へ転じ、本堂を構えたことでした。しかし移って18年目 宝暦8年(1758)の大火により消失。その84年後すなわち天保12年(1842)、大衆が飢えている中、厳選した木材を多用した立派な七間御堂が落成したものであります。それだけに当時の鶴来屋圓右衛門をはじめご同行のご信心の一端をかいま見る思いがいたします。実に有り難いことであります。長い年月を経て、“真宗のこころ”が浸透した土壌は私たちを広くおおらかなものとして育んできたことです。いいかえれば大変な財産を受け継いだ地に在るといえましょう。また将来へその精神、姿勢は大事に相続されていくべきものなのです。
 なお中牧町は藩政期「浄光寺通り」ともいわれ門前町として、商店が数多く軒を並べて人の往来も盛んであった由聞いておるところです。ひとつこの地域に縁をもったことによろこびをもち先達に恥じない「歩み」をしたいものであります。

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真宗大谷派 龍向山 浄光寺

〒920-0843

石川県金沢市森山2-19-32

TEL076-252-4922

URL http://jhokoji.net

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浄光寺について

建立以来の丸い欅(ケヤキ)の柱が並ぶ、現代の道場ともいうべき機能的な洋式の本堂。ご聴聞に時を忘れ、今あるいのちを感謝して、また明日に向けて鮮やかな一歩を踏み出す。
 ここは皆様方の縁(えにし)の要となる集いの場でもありま
すご葬儀、ご法要はもとより、新郎新婦の門出にふさわしい、荘厳ご仏前でのご婚礼にもご利用いただけます。

本堂修復時に寺院葬儀の見直しをはかったところです。ご門徒さんの要望に応えるべく、シンプルにして荘厳、寺院にして良かったと言えるものを模索しているところです。あくまでも終始阿弥陀如来を核に事が運ばれるよう留意しております。従来の祭壇に囚われず、棺と焼香、華など最小限度のものを準備したものです。今後皆さまとともに、尊形を拝しただ心静かに読経をいただき、手を合せるところを大切にして、改良していかねばと思っております。